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イッパイアッテナのSTRANGEWAYS, HERE WE COME 啓之介

大学の勉強を並よりちょっとばかし頑張ってみたところ、
2002年の年明け間もなく小島啓之介(G. / Pf. / Vo.)(当時22歳)、やんわり発狂。
院テリへの道を捨て、音楽人として生きていくことを決意、大学の後輩と2人で兵庫県にて活動を開始する。
デュオ名はなかなか決まらず、イッパイ考えたボツ名たちへの供養も込めて「イッパイアッテナ」と命名した。

見切り発車で上京を決定。啓之介は半年間、朝はパン屋でパンを焼き、晩は焼肉屋で肉を焼くというダイ・ハードなバイト生活を続け、
引越し資金の調達に何とか成功。当時の口ぐせは「金ならある」。


真希上京直前の2002年7月、神戸三宮でファーストライブ
このとき、啓之介と軽音サークルで同級生だった久保田真希(Dr.)が、サポートドラマーとして参加した。

2002年8月、啓之介とその後輩、上京。
ファーストライブで演奏した、"草原をぬけて"(当時のタイトル"世界の車窓から")が頭からはなれず、真希、本格的な参加を決意。
大学卒業後CGの専門学校に通っていたため、授業の合間にパソコン教室で講師のアルバイト、夜は学校に泊まって作品の製作、
週に1回夜行バスで東京に来て練習、という生活を半年間続け、タフガールの名を欲しいままにした。
2003年2月卒業と同時に、真希上京。


2003年4月、吉祥寺にて東京ファーストライブ。その後定期的に吉祥寺や新宿を中心にでライブ活動を始める。
吉祥寺Planet Kを本拠地としてしばらく活動していたが、そのオーディションライブで対バンだったのが、今でも大の仲良しNOWERMANである。
それから何年も経った今でも、お互いのライブに足しげく通いつめ、各々のイベントに呼び合う間柄となった。

時枝さん当時の編成は、ギター2人とドラムだったため、ライブでは啓之介がベースを弾いたりピアノを弾いたりしていた。
ちょっと無理がある部分もあったため、インターネットに音楽仲間(ベーシスト)募集の記事を載せていたところ、
新しいバンドを探していた時枝伸樹(Ba.)がたまたま目を留め、酔った勢いで立候補。
新宿JAMにて行われたライブに時枝さんが足を運び、ほどなくして一緒にやることが決まる。
(その日のお客さんはわずかに2人、うち1人が時枝さんだった。)

メンバー募集の記事に問い合わせてくる人は何人かいたが、すぐに練習に来なくなったり、連絡が取れなくなったりと裏切られ続けたため、
時枝さんのこともなかなか信用することができず、しばらくは"あまり期待せずに"が合言葉であった。


嬉しい誤算で時枝さんがベーサーとして定着し、やっとバンドらしくなったイッパイアッテナだったが、
啓之介とその後輩、初期メンバーだった2人の方向性の違いが次第に大きくなり、2003年末、一旦解散。
その後2004年1月、啓之介・真希・時枝さんの3人で活動を仕切りなおすことに。


2004年4月、"グッバイ・ショーウィンドウ"・"草原をぬけて"の2曲入りカセットテープを販売、これがイッパイアッテナ始めての音源となる。
その後すぐ7月には5曲入りのCDもライブ会場限定で発売、徐々に曲を増やしつつ、渋谷や下北沢にも範囲を広げ、ライブ活動を続けた。

音源ができたことで、レコード会社などに音源を送付しまくり作戦にでたイッパイアッテナ。
2005年1月、渋谷O-nestにて行われた、某大手レコード会社のオーディションライブに出場。
当時O-nestでブッキングマネージャーをしていたY氏に気に入られ、その後は月1で渋谷O-nestに出演することになる。
(オーディションの結果は2位に終わり、特に何も起こらなかった。
しかしそのライブに一緒に出ていたハイセンスなバンドサウビーチと意気投合。つかずはなれずの良い関係に。)

原さん夏頃、Y氏に、"そういえばカフェ・オ・レーベルっていうレーベルがあって、合うかもしれないから音源送ってみたら?"と言われ、
早速カフェ・オ・レーベルに音源を送りつけた。
3日も経たないうちに、啓之介の携帯に原朋信氏(シュガーフィールズ兼カフェ・オ・レーベル社長)から電話。
"CD出しましょう。一度会社まで話しにきてください"ということで、綾瀬カフェ・オ・スタジオを3人で訪問する。
当日嵐で千代田線が寸断される悲劇に見舞われたが、その後はとんとん拍子でリリースが決まり、レコーディングが始まった。

2005年秋頃、音源完成。
エンドリックス
昔カフェ・オ・レーベルでスタッフとして働いていてた、
エンドリックス氏(ライブ製作・マネージメント・2児の父)に、
原さんが音源を聞かせたところ、"是非一緒にやりましょう"とのことで、ライブの企画やその他諸々を手伝ってもらうことになる。
当初エンドリックスのあまりのギョウカイっぽさに気圧されていた3人だったが、
今となってはイッパイアッテナにとって必要不可欠な存在である。

原さん&エンドリケリの激プッシュと、諸々の条件が重なり、タワーレコード2006年大プッシュ第一弾アーティストに決定。
2006年1月、ファーストアルバム"イッパイアッテナ(ip/at)"を発売した。
キャッチコピーは"普通であることが、いちばん難しく、いちばん美しい"。
(これは原さんが考えたキャッチコピーであり、他には"9枚シングルがきれる10曲入りのアルバム"などの候補があった。)

全国のタワーレコードを中心として大々的にCDが売り出され、新宿店・川崎店にてインストアライブとサイン会を行うことに。
特に新宿店では予想以上の盛況。結果ファーストアルバム"イッパイアッテナ(ip/at)"は、
無名の新人インディーズアーティストとしては驚異的売上を記録することとなる。


そんな周りの喧騒はどこ吹く風、その2月には関東近郊ツアー、5月には東名阪ツアーと、エンドリックスから課せられた修行の旅をほいほいこなす。
8月には、カフェ・オ・レーベル コンピレーション作品"こちら足立区綾瀬東京武道館前カフェ・オ・レーベル"に、"そして僕は遅刻する"で参加。
シュガーフィールズと共にApple Store渋谷店・名古屋栄店・心斎橋店を回り、インストアイベントを行った。


2006年夏、ライブ活動をしながらも、ミニアルバムを発売するためのレコーディングに入る。
"そして僕は遅刻する"に加え、昔からあった、"草原をぬけて"、"通り雨"、新たにライブでよく演奏していた、"だのになのに"、"マイクロスコープ"を次々と録音。
5曲録音した時点で、これを並べて出そうという話だったが、
エンドリックスから"もう1曲なにか間にはさむもの(フック、ブリッヂとか言う)があったほうがいい"との意見があった。

急遽あらためて啓之介と真希でカフェ・オ・スタジオに出向き、特に何もないところから1日でできた曲が"Fanfare"である。
その日の夜、私用をすませてスタジオに到着した時枝さんにベースを持たせ、はいこれにベース入れてね、という強引なレコーディング方法。
(時枝さんはスタジオ到着直後、相当むっとしていたという話だが、何のことはない、全員にとって急なレコーディングだったのである。
イッパイアッテナの結束力のなさが露呈しつつも、レコーディングにおける対処能力アップを思わせる、心温まるエピソードである。)
Fanfareはこのように駆け足で出来上がったが、その後のライブで文字通り「登場曲」として末長く使用されることになった。

10月には無事、カフェ・オ・レーベルからセカンドミニアルバム"午後の標本"を発売し、FM802主催の音楽フェス"MINAMI WHEEL2006"に参加を果たした。


ならやん話は戻り、2月の関東近郊ツアーは、SCREW UPとのスプリットツアーという形で行われた。
そのSCREW UPでギターを弾いていたのが、楢原英介(G.)

ならやんは、"SCREW UPで一番気難しそう"という意見でイッパイアッテナ3人一致していたが、
同時にそのギターのセンスと、バイオリンやピアノをも自由に操るマルチプレイヤーぶりは、強く印象に残っていた。
もっとライブでの演奏の幅を広げたい、と考えた啓之介が、SCREW UPをやめてヒマしていたならやんに声をかけ、
2007年から一緒に音楽活動をしていくことになる。

第一印象とはうって変わって、リハーサルの度に完璧にギターを仕上げてくるプロフェッショナルな姿勢と、明るい弟分キャラクターで、
氏はあれよあれよという間にイッパイアッテナに溶け込み、その才能を如何なく発揮している。

2007年2月、下北沢GARAGEにて自主企画イベント、"低気圧ボーイVol.1"。その後3ヶ月に1度のペースで低気圧ボーイを開催し、2007年は自主企画イベントの年となる。
Vol.1は、旧友サウビーチ、カフェ・オ・レーベルの大先輩カスタムネル、ならやんなきSCREW UPの3バンドと4マンライブであった。


時を同じくして2007年初旬、テイチクにできる新しいレーベルがコンピレーションアルバムを出すのだが参加しないかという話が舞い込む。
エンドリックスから、ファーストアルバムに入っている"Crash!"のリミックスと、何かカヴァーを1曲やりなさいとの助言を受け、
電気グルーヴの"N.O."のカヴァーをすることに決まる・・・卓球愛好家・真希から発せられた鶴の一声であった。
このレコーディングも、大まかな構成とテンポを決め、いきなりドラムから録音し始める、という強引な方法だったが、もの凄いスピードでレコーディングを終える。


5月に行われた低気圧ボーイVol.2は、吉祥寺の腐れ縁NOWEARMANと、テイチクコンピで一緒になったtaeとの3マン。
Opening Actでは、エンドリックスつながりで知り合いライバル視していたATARIMAEDANOCRACKERSが好演。大いに会場をあたたたた。

7月、テイチク内レベイユレーベルからコンピレーションアルバム、"Someone Somewhere"発売。
参加アーティストはROBOTS、tae、Hippogriff、THE CIGAVETTES、イッパイアッテナの5バンド。8月にインストアライブと発売記念イベントにも参加する。
(このインストアライブでは啓之介が初めて弾き語りを披露、少しトラウマになっているようである。)

8月にはWash?との2マンで、低気圧ボーイVol.3も行われた。
Wash?とはファーストアルバム発売後ツアー中のライブで知り合い、以降イッパイアッテナのアニキ分的バンドとして親交を深める。
今後のジャパニーズ・オルタナ界をしょって立つ師弟関係と言っても過言ではない。

2007年10月、再び全国ツアーに出たイッパイアッテナ。"MINAMI WHEEL"に2年連続参加という快挙(?)を成し遂げる。
(しょっちゅうツアーに出ているイッパイアッテナだが、名古屋には啓之介の実家、兵庫には真希の実家があり、宿には苦労しない。)


3回の自主企画イベントを経て、2007年12月、いよいよ初ワンマンライブ、"低気圧ボーイVol.4"を開催する。
1年間の自主企画ライブで特に人気の高かった2曲、"レスキュー"・"恋のいろは"をレコーディングし、会場限定で発売。
ワンマンで下北沢GARAGEを満員にすることに成功。全18曲を披露し、2007年最終回の低気圧ボーイは大盛況のうちに幕を閉じた。

年末には下北沢GARAGEの恒例イベント、"さよなら2007"に参加。
その時の対バンは、スネオヘアー、長岡亮介( ペトロールズ)、小出祐介(Base Ball Bear)、シュガーフィールズ。超満員の下北沢GARAGEを体験。

2008年、場所は変わって下北沢Club 440で、低気圧ボーイVol.5、6を開催。
10月に行われたVol.6は2回目のWash?との2マンライブ。
去年の感謝企画に続き、"Re-fanfare"・"トレイン・トレイン・トレイン"を会場限定で発売。
"Re-fanfare"はセカンドアルバム"午後の標本"に収録されているFanfareの啓之介リミックス。これからの方向性を示す1曲となる。

定期的にライブをこなしながらも、啓之介の計画は人知れず粛々と進んでいたのであった・・・。
10月、新宿red clothでのライブを最後に一旦ライブ活動を休止。音源製作・インターネット配信中心の活動に切り替え。
12月には"葉桜"・"航海"を発表。

年は明け、2009年も啓之介のコツコツ活動は続く。

※ ippaiattena.comは、東京で活動しているバンド"イッパイアッテナ"のオフィシャル・サイトです。